肉体労働

96年の3月、自分は友人と一緒に地元の自動車部品製造工場で働くことにした。3月から7月までの4ヶ月間の契約。期間社員というやつだ。1ヶ月約30万の給料で4ヶ月間。単純に120万の収入を考えての気軽なバイトのつもりだった。

体力には自信があった。プールで泳げと言われればいつまでも泳げたし、自転車を1日1時間くらい乗るのも日課だった。人並みかそれ以上に体力はあると思っていた。工場勤めもさほど辛くはないだろうと安易に考え、友人の紹介で一緒に短期間で稼げる期間社員をすることにしたのだった。

友人はそこで働くのは2度目で、仕事はきついけれど金にはなるという話だった。身体測定や適性検査をクリアして、コンロッドというエンジンのパーツを加工するラインに配属された。

コンロッド・・・トラックエンジン用なのでデカイ

肉体労働を若い内に経験しておくのもいいだろう。その程度の気持ちで来ていた自分にとって、そこでの仕事は想像を絶してきついものだった。1日3回の休憩を挟んでほぼノンストップ。立ちっぱなしでひたすらコンロッドという重さ約3キロの鉄の部品を両手に持ち、10メートルほどの間を行ったり来たりするという作業。それを1日8時間。残業を含めると約10時間続けるというものだった。

仕事が終わるとパンツまで油が染み込んでいた。手などに付いた臭いはなかなか落ちない。家に帰ると疲れて何もする気が起きず、風呂に入ってすぐに寝ていた。夜勤もあるので、2週間置きに昼夜が逆転する。3日目でもう辞めたいと思った。初めの一週間はまともに飯が食えなかった。

朝の朝礼では仕事中の事故、いわゆる労災に関しての注意を繰り返し聞かされた。昨日はどこどこのラインの誰々さんが機械に手を挟まれました。気を付けましょう。誰々が工具を足の上に落とし骨折、等々。確かに危険な職場だった。

鉄板の入った安全靴を履き、手は厚手の手袋を二重にする。油を吸い込まないようにマスクを付け、機械の作動音で鼓膜をやられないように耳栓も必須だった。足元は油で滑りやすく、扱っている部品も機械も油まみれだった。

そういった環境面のことだけでなく、一番神経を使ったのはとにかく部品の生産ラインを止めてはならないということだった。1日のノルマは定められている。1つのラインで何人使って、1日に平均何本作れるか統計で出ているので、その数字を下回るのはまずいわけだ。

初めのうちは新人扱いなので、ベテランの社員が付きっきりで作業していたが、2週間もして一通り流れを掴むと一人で全て任されるようになった。自分の担当した場所はラインの折り返し地点で、全部で11台の機械を任されていた。

同じラインにはあと2人の作業員がいて、全部で3人で一つのラインをまかなっていた。自分以外の2人は何ヶ月もそのラインで働いているベテランだった。だから、どうしても流れが自分の所で止まってしまう。もたついているとノルマはクリアできない。残業することになるので他の人達にも迷惑がかかる。作業のスピードを上げなければならないのだが、一歩間違うと大ケガをすることになる。緊張の連続だった。

今考えるとぞっとするが、初めのうち自分は仕事中に立ち寝をしていた。まだ全部を任されていない時だったので事故はなかったが、担当の人にひどく怒られた。ある日医務室に行けと言われたので行ってみると「あなたは血圧が低い」と言われた。血圧が低い?

確かにうちは家族みんな低血圧ぎみだというのは知っていたが、面と向かってあなたは血圧が低いと言われた事がなかったので返答に困った。

このままこの仕事を続けて支障がないかと聞かれたが、入って1ヶ月も経ってないのに辞めるわけにもいかない。自分でやると決めたわけだし最後までやるしかないだろう。そう思っていた。

毎日が本当に辛かった。自分より若い奴があとから2人配属されてきたが、2人供1ヶ月も経たずに辞めていった。本当に過酷な仕事だった。でも、驚いた事に自分の父親と大して変わらないような年齢の人が何人か働いていた。

さすがに気を使われていたのか、負担の軽い作業をしていたようだが、やっていることは基本的に一緒だ。ただひたすら鉄の塊を加工し続けるという仕事。

それでも2ヶ月もするとやっと体が慣れてきた。体の休ませ方を憶えたと言っていい。暴飲暴食は絶対ダメ、甘いものは水分で捕るより固形物で捕る方がいい、入浴しないと疲れは2倍になる、等々。生活のパターンを変えていくことで少しづつ体が適応していった。

そして4ヶ月経ち、満期となり退職した。給料が入ったことはもちろんだが、それよりも無事に最後までやり通せたことの方がうれしかった。絶対に4ヶ月もたないだろうと思っていた。今も社員として毎日あの仕事を続けている人達がいると思うと尊敬する。

貯まった金でパソコンと自転車を買った。

 



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