「顎関節症ですか。うちに来ればまず治りますよ」 電話に出た先生はそう言った。あまりにあっけらかんとした口調だったので、正直救われた気がした。そうか。治るのか。 「そうですね。だいたい5回くらいの通院で治りますよ」 さっそく予約を入れることにした。こうして片道約2時間の通院が始まった。その歯科医院は都心から少し離れた住宅街の古いアパートのようなビルの一室にあった。 内装も設備も古く、AMのラジオが大きな音で流れていた。お世辞にも雰囲気がいいとは言えない。しかし、こういう一見繁盛していないように見える所が、けっこういい治療をしているのかもしれない。そう思い込むようにした。 「うちの治療はあの本を書かれた先生のやり方とは違います。あの先生の方法だと保険は適応されませんから、最低でも20万くらいします。うちだと保険内でやるから安くすみますよ」 「5回ですね。5回通われて治らなければ無理だと思ってください。でも大抵5回以内でどなたも治ります」 そう説明を受けた後、実際の治療に入った。何をするのかと思えば、突然削り出したのだ。 「これが邪魔をしている。ここもおかしい」次々と当たりの悪い場所を削っていく。 いいのかなーと内心思ったが、任せてしまった以上止めるわけにもいかない。されるがままに、ひたすら削るという治療をされていた。 1度目と2度目までは確かに順調だった。一瞬両方で思いきり噛めるようになった時もあった。シンメトリーにカチカチと音を立てて噛めるという体験。噛み締めた時、咬筋にグッと力が入る感覚。一時的に回復したかにみえた。 しかし、2日経ち、3日経つと必ずどこかが当たりが悪くなってくる。前歯が当たり過ぎていたり、奥歯に違和感があったり。 3度目の調整の後には、食事が困難なほど右の糸切り歯の当たりが悪くなってしまい、その日のうちに右の顎関節も鳴るようになってしまった。 最後の日には先生も投げやりだった。やたらと雑に作業しているのと、口数が少なくなっていたので、ああ、これはダメなんだなと感じた。 挙げ句のはてには何を思ったのか、左上の奥歯(7)を「この親知らずは抜いた方がいいなー」などと独り言を言いながらガリガリと削り始めた。 親知らず?この歯は親知らずだったのか?突然のことにまともな思考ができなくなっていた。もちろんその歯は親知らずではない。まだ活躍の余地のある永久歯だ。おかげでその歯は外側の山が無くなり、つるつるになってしまった。 ただひたすら削る。きっちり5回通って良くなるどころか、それまで異状のなかった右までおかしくなってしまった。前歯のラインは削られてガタガタになり、奥歯はことごとくエッジを取られていた。 歯ブラシがスッと奥まで届く。おかげで歯磨きがすごく楽になった。
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